4 /5 山田万歳: 国指定天然記念物。
ケヤキ並木は,「平安時代中期,鎮守府将軍源頼義及びその子の八幡太郎義家が奥州征伐先勝のお礼参りとして千本の苗木を奉納したことに端を発した」とする伝承が人口に膾炙しており,
また,徳川家康も大坂両役に際して,この故事に因んで大國魂神社にて戦勝祈願を行い,そのお礼参りとしてケヤキの苗木を補植し馬場を献上したとされるが,
これらを示す同時代史料は存在しない。
いずれにせよ,昭和五十二年に行われた古木の樹齢測定の結果から,少なくとも14世紀頃にケヤキがあったことまでは言い切れる。
また,江戸前期寛文七年の制札に「……馬場之土手に植之苗木ぬき捨てへからさる事(馬場の土手に植えた苗木を抜き捨てべからざること)……」とあることから,それ以前にケヤキの苗木が植えられていた可能性も高い。
なお,現存最古のケヤキは大鳥居脇のもので,樹齢400年と推定されているが,時期的に上記の制札が発出された時期と一致する。
また馬場については,律令制の時代から大國魂神社周辺で馬市が開かれていたことに因む。
伝承では小野の辺りに牧場があり,甲斐信野陸奥等の馬が集められていたとされ,上記の奥州征伐や大阪両役の軍馬もここで調達されたといわれる。
この馬市は,江戸中期享保年間頃に麻布に移されるまで続いたが,現在でも大國魂神社で競馬式(こまくらべ)が行われており,当時の様相を今に伝えている。
この競駒式は,上記の経緯で徳川家康が神社に奉納した馬場で行われたとされ,それは現道路の両側(歩道辺り)にあったものと考えられている(その長さ約550メートル,幅9メートルほどの規模であった)。
全体の三割程度が古木であるが,洞が大きいものが多く,倒木の危険がある様に思われた。
ちょうど業者が選定を行っていたが,町のシンボルとしているだけあって,随分と維持管理にお金をかけている様であった。