5 /5 シャロンのバラ肉Ver Ka.: 言うまでもなく吉田松陰を祀る神社である。
文久3年に松陰が埋葬され、一度幕府に破壊され土地も没収された後、維新を迎えて明治元年に墓地が修復され土地も政府から再拝領、明治15年に墓地の横に神社が創建される。
そんな訳で墓地が本来の主役だが、神社のほうが目立つ。
個人的には松陰はそんなに興味はなく(博文など門下生には興味はある人はいる)、一方で全国大小様々な神社を見てきた身からすると、金回りの良い明るい景気の良い神社という感じである(そうではない神社の方が多い)。七五三とかで賑わうのも宜なるかなである。全国の松陰ファンのパワーはすごい。
幕末の歴史を知る人ならば当然疑問に思うことだが、松陰を刑死に追い込んだ井伊直弼の墓もある井伊家の菩提寺豪徳寺と、松陰神社は目と鼻の先にある。世田谷は井伊家の所領であり、随分不思議な所に神社があるものである。墓地・神社は長州藩別邸があった所を使用したらしいが、なぜ長州の屋敷がここに?となる。郷土資料館の古地図によれば、井伊藩領と幕府領の丁度境目で、ここ若林は旗本領となっている。また「若林のまちの情報」によれば、八王子千人頭から若林の地を購入したらしく、結果井伊と幕府の知行地の中にぽつんと長州が入った、そんな感じの模様。
そんな過去の因縁を気にする人は東京では勿論おらず、豪徳寺も松陰神社も世田谷の観光名所である。猫のイラストが付いた「松陰神社前」という立て看板が、どーんと神社前にある。
話が逸れたが、伊藤博文はじめとした明治の元勲寄進の石灯籠、徳川家奉納の灯籠に水盤(墓地破壊のお詫びだそう)など、史跡的なものも数々ある。神社の境外で場所が分かりづらいが、桂太郎の墓地もある。一番見栄えがするのが、広沢真臣の墓所である。ただ非公開でブロック塀に囲まれ、謎に存在感のある巨大が墓石だけが、外から顔を覗かせる。
松蔭に興味が無く、近くを通ることはあっても足を運ぶことが無く、この度、紅葉目当てに漸く訪れたが、見どころ沢山であった。神社としては余り面白いものは無いが。



