5 /5 原和: 飛鳥山公園は、王子駅の南側の東京都北区王子にある区立公園です。
飛鳥山(あすかやま)という園名は、平安時代の豪族の豊島氏が鎮護のために祀った「飛鳥明神」が由来とされます。
江戸幕府第8代将軍の徳川吉宗が、江戸時代の三代改革のひとつの「享保の改革(きょうほうのかいかく)」の一環として整備・造成を行いました。吉宗の治世の当時、江戸近辺の桜の名所は寛永寺程度しかなく、花見の時期は風紀が乱れました。このため、庶民が安心して花見ができる場所を求めたといいます。開放時は、吉宗自ら、飛鳥山に宴席を設け、名所としてアピールを行いました。享保5年(1720年)から翌年にかけて1270本の桜が植えられ、現在もソメイヨシノを中心に約650本の桜が植えられています。
明治6年(1873年)上野公園・芝公園・浅草公園・深川公園と共に日本最初の公園(東京五公園)に指定されました。
明治12年(1879年)起業家の渋沢栄一が飛鳥山公園南東側の敷地に別荘を構え、1901年から栄一が死去した1931年までは本邸として使用しました。
昭和8年(1933年)渋沢栄一の遺言により飛鳥山邸宅を龍門社に寄贈しました。
昭和20年(1945年)大東亜戦争時の米軍による空襲で罹災し、旧渋沢家邸宅の大部分が焼失しました。
昭和24年(1949年)龍門社は渋沢栄一顕彰事業の基金とするため旧渋沢家邸宅跡地の3分の2を売却し飛鳥山公園が拡張されました。
昭和45年(1970年)回転式展望タワー「スカイラウンジ」(通称・飛鳥山タワー)開業しましたが、平成5年(1993年)に廃止されました。
平成10年(1998年)園内に三つの博物館(渋沢史料館・北区飛鳥山博物館・紙の博物館)が開館しました。
平成21年(2009年)スロープカー「飛鳥山公園モノレール」が運転開始しました。
旧渋沢庭園は、旧渋沢家飛鳥山邸「曖依村荘(あいいそんそう)」跡の庭園で、平成4年(1992年)から北区が管理しています。
現存する「晩香廬(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえんぶんこ)」の建物は国の重要文化財に指定されています。
国鉄D51形蒸気機関車 853号機(1943年製造・1972年まで走行)、東京都交通局6000形電車 6080号(1949年製造・1978年まで走行)が静態保存されています。
「飛鳥山碑」は、元文2年(1737年)建立で、飛鳥山の由来を記しています。あまりに難解な漢文であるため、江戸時代は読めない碑として知られました。
「桜の賦の碑」は、明治14年(1881年)建立で、佐久間象山の書いた「桜賦」を、門弟勝海舟の意で碑にしたものです。
「船津翁の碑」は、明治32年(1899年)建立で、元勲 大久保利通の招きで駒場農学校農場監督となり、後に西ケ原の農事試験場技師として農業の発展に努めた船津伝次平の功績を顕彰しています。
「飛鳥山古墳群」は、公園内に分布する古墳群で、円墳5基以上から構成されます。平成元年(1989年)〜平成3年(1991年)に発掘調査が実施されています。
1号墳は直径31mの円墳で、埋葬施設は凝灰岩質石材による切石積みの横穴式石室で、石室の平面形は石室中央部が膨らむ胴張り形を呈しています。
その他の古墳は直径20m程度の円墳で、周溝が認められます。古墳時代後期〜終末期の6世紀後半〜7世紀初頭頃の営造と推定されます。
「飛鳥山」の名の通り一帯は小高い丘になっていますが、「飛鳥山」という名前は国土地理院の地形図には記載されておらず、「東京都で一番低い」とされる港区の愛宕山(25.7m)よりも低く25.4mで、北区は国土地理院に対し、飛鳥山を地形図に記載するよう要望しましたが採択されませんでした。