5 /5 jaguar y1: 三代目戸田橋の親柱
三代目戸田橋は、現在の四代目戸田橋の東側に架けられており、完成した昭和七年当時は、日本一斬新で美しい橋として話題を呼びました。
三代目戸田橋の埼玉県側と東京都側の入口部には、「戸田橋の顔」として、それぞれ一対の親柱が設置されていました。
親柱の石材には、岡山県北木島産の良質な花崗岩が使用されています。また、親柱の下段石積みに施された隅部の面取り加工や、石積み中段に施された曲線と直線を混合させたアール・デコ調の石造彫刻など、昭和初期の著名な橋梁設計者であった増田淳氏による意匠的に凝ったデザインが戸田橋を渡る人々の目を惹きつけていました。現在は欠損していますが、柱の四面には鋳造青銅製の電燈が、柱の中間部と上部には正方形を連続させた装飾などが配されていました。
現在は親柱の東京都側が板橋区小豆沢公園に、埼玉県側がここ戸田橋親水公園にそれぞれ移設されています。
戸田市は、古来から荒川の河川交通とともに発展してきました。第二次世界大戦後間もない頃に在留米兵によってつけられたとされる「埼玉縣」銘板の3つの銃弾の痕や、昭和三十九年東京オリンピックの聖火ランナーと写る写真からも、三代目戸田橋の親柱が戸田市の歴史のあゆみをいつも近くで見守ってきたことがわかります。
平成二十七年三月戸田市教育委員会