3 /5 玉木造: ▼普通の公園ですが、お江の方と関係の深い場所なのです。
▼昔の武蔵野の面影を残す雰囲気を持っていました。王禅寺周辺も最近は閑静な高級住宅街として、人気のあるところですが、昔はこんな寂しい田舎だったのかなと感じます。
▼ご存知の方は多いと思いますが、お江の周りというか、長男・家光については、春日局等の権力闘争もあって、色々と噂の絶えない状況でした。その一つの噂として、家光2代将軍説というのがあります。
▼お江は、2代将軍秀忠の正室となり(再再婚ですが)、秀忠との間に、千姫をはじめ、家光、次男・忠長など2男5女をもうけました。噂は、実はこの家光は秀忠・お江の実の子供ではないというものです。家康と春日局の子供ではないか等との話しです。(他にも天海と春日局の子という説等もあります。)
▼勿論、根も葉も無い話とは思いますが、根拠として以下3つが挙げられているようです。
①日光山輪王寺奥院にある家光の墓所には、生前家光が使用していたお守りがあります。そこに「二世ごんげん 二世しょうぐん」と書かれおり、これが家光は家康の二世の証拠であるとの説。
②お江は女児を多く生んでおり、男児は生まなかったという説。
③家光・忠長の家督争いにて、わざわざ家康が出てきて、お江お気に入りの忠長を差し置いて、家光を嫡子に指名したこと。
▼これらの話しから、更にエスカレートして、春日局は明智家出身であり、織田家出身のお江を恨んでいた。その結果、「家光」の名前は「家康」の「家」と「明智光秀」の「光」を併せたものだというのもあります。
▼さらに、秀忠・家光・秀長の3人が江戸城を留守にした状態だった時に、命を落すという不自然さ
▼さらにさらに、歴代の増上寺に葬られた将軍一門の中で、火葬されたのはお江だけということから、春日局が明智家の織田家に対する復讐心と合間って、お江毒殺説という極端なものもあります。
▼まあ、歴史は色々と取沙汰されるから面白いのですが...